大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に長沼宗政(ながぬまむねまさ)という人物が登場します。
あまり聞き馴染みのない名前かもしれませんが、公式サイトの登場人物紹介で名前があがっていたのでこの後活躍するかもしれません。
彼は一体どんな人物だったのでしょう?
長沼宗政(ながぬまむねまさ)とは?
長沼宗政(ながぬまむねまさ)は、下野国(栃木県)の御家人です。
「小山(おやま)3兄弟」の次男で、怒りっぽいことで有名な人です。
「吾妻鏡」では、些細なことで激高するとても気性の荒い人物とされています。
口もかなり悪かったらしく、武人というよりも文化人的な傾向のある3代将軍・源実朝に対して「蹴鞠ばかりやって武芸はほとんどやらない。女のようで勇気がない。」と言い放ち、謹慎をくらっています。
将軍に対して普通はそこまで言えません。
相当に荒っぽく、口の悪い人物だったことが伺えます。
しかし、この時代の荒くれ者にも関わらず、権力争いを起こしたり追放されたりはせず、多くの領地を子孫に残しています。
最期は領地の下野国で79歳で亡くなっています。
詳細は不明ですが、おそらくは病死であったと思われます。
将軍に暴言を吐いたり、些細なことで怒ったりするのに、権力争いの絶えない鎌倉時代を生き抜き、子孫に領地まで残した(領地没収されていない)ことを考えると、実は結構すごい人だったのかもしれません。
小山3兄弟とは?
荒くれ者の長沼宗政は「小山3兄弟」と呼ばれる鎌倉時代初期に活躍した御家人兄弟の1人です。
小山3兄弟とは、小山氏の祖である小山政光(おやままさみつ)の兄弟のうち有名な3人のことです。
(※小山政光には少なくとも6人の男子がいたとされています。)
「小山朝政(おやまともまさ)」「長沼宗政(ながぬまむねまさ)」「結城朝光(ゆうきともみつ)」の3人が俗に小山3兄弟と呼ばれます。
小山朝政
小山朝政(おやまともまさ)は、父の跡を継いで小山氏の2代目当主となった御家人です。(※そのため、おそらく長男です。)
あまり目立っていませんが、鎌倉殿の13人にも「中村敦さん」演じる小山朝政が出演しています。
源頼朝の挙兵に早い段階から加わっており、平家討伐では源範頼に従って九州へ。
奥州合戦でも活躍し、源頼朝が上洛した際には式典で7人の兵のうちの1人に選ばれています。
このとき選ばれた他の6名が「北条義時」「和田義盛」「梶原景時」「土肥実平」「比企能員」「畠山重忠」だったことを考えると、小山朝政はかなり頼朝から重用されていたことが伺えます。
頼朝死後は幕府の宿老の1人として活躍し、承久の乱にも参加しています。
承久の乱から13年後、出家し「生西」と名乗ります。
その約4年後、病気のために亡くなりました。
享年は84とされています。
長沼宗政
長沼宗政(ながぬまむねまさ)は小山政光の次男とされています。
前述のとおり、とても怒りっぽい人だったと伝わります。
ただし、彼も頼朝挙兵の初期から従軍しており、かなり多くの活躍をしています。
「比企能員の変」「畠山重忠の乱」ではどちらも北条方に味方しました。
承久の乱にも参加しています。
物語の序盤から味方だったはずですが「鎌倉殿の13人」では、なぜか「畠山重忠の乱」のタイミングで初登場します。
主だった御家人たちが退場したあと、北条義時に反発する役割を担っているようです。
結城朝光
結城朝光(ゆうきともみつ)は、「梶原景時の変」のきっかけを作った人物です。
名字が違うためややこしいですが、彼も小山政光の子です。
彼に関しては別記事に詳細がありますので下記の関連記事をご覧ください。
(関連記事:結城朝光とは?)
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