三浦義村の最期はどうなる?「13人」ではないが権力闘争の中心人物

三浦義村 映画・ドラマ
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NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、山本耕史さんが演じる三浦義村という御家人がいます。

主人公、北条義時(演:小栗旬さん)とは親友のような立ち位置で、頭の切れる人物として描かれています。

彼はどんな人物で、最期はどうなったのでしょうか?

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三浦義村の最期はどうなる?

三浦義村は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公・北条義時より長生きします。

最終的に鎌倉幕府で北条氏に継ぐ地位となり、最期は病気で亡くなります

亡くなった原因はハッキリとは分かっていませんが、「中風」だとされています。

(※なお、当時の人々は後鳥羽上皇の怨霊の仕業だとしています。)

なお、「十三人の合議制」のうちの一人となった父・三浦義澄は、梶原景時が討たれた3日後に病気で亡くなっています。

13人」のうち2番めの脱落者は三浦義澄(演:佐藤B作さん)ということになります。

三浦氏は権力闘争に負けたわけではないため、義澄の子である義村が以降も幕府の中心人物として活躍することになります。

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三浦義村はどんな人?

鎌倉殿の13人公式Twitterより

頼朝死後の権力闘争に関与し、「御成敗式目」にも署名し、幕府の要職にも就いたと言われるため、大変優秀な人物だったようです。

特に、頼朝がなくなった後に起きた幕府内の権力闘争で、三浦義村が中心的な役割を果たすことになります。

初代鎌倉殿の源頼朝・二代将軍源頼家が信頼を置いていた「梶原景時」は、66人の御家人による弾劾状によって失脚したとされますが、これを主導したのは三浦義村だとされています。

「畠山重忠」討伐でも重要な役割を果たします。

重忠の嫡男、畠山重保を討ったのは三浦義村だとされます。

三代将軍源実朝を暗殺した「公暁」を討ち取ったのも三浦義村だと伝わります。

さらに北条時政・北条義時親子が対立することになった「牧氏事件」で義時を勝たせたのは三浦義村であるとする説もあります。

ドラマと同じように、史実の三浦義村も、義時や政子から相談を受け、そのたびに的確な策を授けていたものと考えられます。

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「13人」ではない?

鎌倉幕府で権力闘争の中心人物であったのにもかかわらず、三浦義村は「13人」には含まれません。

十三人の合議制のメンバーだったのは父の三浦義澄です。

その後、義村が「十三人の合議制」に加わることはありませんでした。

そもそも「十三人の合議制」自体が短期間で崩壊しており、「13人の跡を継ぐ」などという制度にもなりませんでした。

義村の父・三浦義澄が亡くなった年に同じく「13人」の一人である安達盛長も病死しています。

梶原景時を含め、一気に3人もいなくなってしまったため、「十三人の合議制」の制度はその年に解体。

その後、「元13人」の権力闘争はまだまだ続くことになりますが、実は「十三人の合議制」は一年も持たずに崩壊してしまった制度です。

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