源行家とはどんな人物で最期はどうなった?大河鎌倉殿では疫病神扱い

武田信義 映画・ドラマ
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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で疫病神的な扱いを受けている源行家(演:杉本哲太さん)は、源頼朝と源義経の対立に大きく関係してきます。

二人の叔父である源行家とは一体どんな人物だったのでしょう?

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源行家とはどんな人物だった?

源行家は源為義の十男として生まれます。

源頼朝・源義経の父である源義朝は源為義の長男であるため、源行家は頼朝・義経から見れば叔父にあたります。

行家の生誕年はハッキリしていませんが、頼朝とは年が近く、4~6歳ほどしか離れていませんでした。

叔父ですが兄弟くらいの年齢差です。

源義朝らが平清盛らに負けた「平治の乱」に源行家も参戦していたと言われますが、具体的な動きは記録されていません。

以仁王が挙兵すると、行家は山伏の格好をして各地の源氏に平家打倒を呼びかけます。

頼朝に挙兵するように促したのも行家でしたが、行家は頼朝の傘下には入らず独立して動き回ります。

頼朝の弟・義円などを仲間に引き連れ、尾張・三河で平家方と戦いますが敗北。

壊滅的な被害を受け、頼朝の元へ逃れます。

そこで所領を求めますが、頼朝はこれを拒否。

両者は対立し、行家は同じく甥である源義仲(木曽義仲)のもとへ身を寄せます。

その後、義仲とともに入京しますが、義仲との仲も次第に悪化。

独自に平家と戦いますが、またしても敗北します。

頼朝の平家討伐には加わらず、近畿地方で独立した立場をとっていました。

交渉し扇動するのは得意であったとされる一方、戦では何度も大敗を喫しており、軍事面での才能には乏しかったとされています。

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源行家の最期

源行家の最期は、源頼朝の命令により処刑されます。

平家を滅ぼした後、頼朝は行家を討伐しようと命令を出します。

これを知った行家は、壇ノ浦の戦いの後、頼朝と不和になっていた義経に声をかけます。

2人は手を取り、源頼朝の反対勢力として後白河法皇から頼朝討伐の院宣を受けます。

しかし、義経・行家に従う武士よりも、頼朝に従う武士の方が圧倒的に多数でした。

頼朝が大軍を差し向ける構えを見せると、義経・行家は都を捨てて西へ逃れようとしますが、暴風雨などの影響で断念。

行家は現在の大阪府貝塚市あたりに潜伏しますが、地元民の密告により所在がバレて捕まります。

最期は河原で斬首されたと伝わります。

享年は40数歳(※生年不明のため)だったとされています。

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鎌倉殿の13人では疫病神扱い?

大河ドラマ鎌倉殿の13人では、源行家は疫病神的な扱いを受けています。

源頼朝役の大泉洋さんが「また叔父上か」とめんどくさそうに対応しているシーンが印象に残っている人も多いでしょう。

頼朝は行家を敬遠していましたが、行家を受け入れた人たちはことごとく滅びています

まず行家は以仁王の挙兵を頼朝に知らせる役割を担っていました。

この以仁王の挙兵は、行家の動き原因でバレています。

以仁王は謀反が失敗した後、逃げる途中で討たれて亡くなります。

挙兵した頼朝のもとへ馳せ参じた頼朝の弟・義円を連れて無謀な戦いに挑み、死なせてしまったのも行家です。

その後、身を寄せた木曽義仲も頼朝軍に討たれています。

さらに、壇ノ浦の後、行家は義経とともに頼朝に対して反旗を翻すことになります。

こうしてみると、行家と行動を共にした人々は、全員不幸な目に会っています。

これでは疫病神と言われるのも仕方ないように思えてなりません。

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