漫画家北澤楽天とはどんな人物だったのか?【日本の漫画の父】

漫画 雑学
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北澤楽天とは?

北澤楽天は「日本初の職業漫画家」と言われる漫画家です。

英語の「コミック」を「漫画」と訳した人でもあり、今日の「漫画」が広く一般に普及するのに多大な影響を及ぼした人物です。

1876年(明治9年)に東京の名家で生まれた楽天は洋画や日本画を学びますが、新聞社に入社した際、オーストラリアの漫画家ナンキベルと出会い、その影響を受けます。

ナンキベルが日本から離れた後、その後継者として新聞に掲載する漫画を担当することになりました。

その後は主に新聞や雑誌に政治風刺の漫画を掲載して人気を博しました。

手塚治虫も楽天の作品に影響を受けたと言われています。

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「漫画」の普及に大きな影響を与えた

「漫画」という用語を初めて使ったとされるのは、今泉一瓢(いまいずみいっぴょう)とされています。

今泉一瓢は福沢諭吉の義理の甥であり、諭吉に絵画の才能を見いだされ、後に時事新報という新聞で風刺漫画を掲載するようになります。

この今泉の後を継いで時事新報の漫画担当になったのが北澤楽天です。

今泉は「カートゥン」を、北澤は「コミック」をそれぞれ「漫画」という表現で訳しました。

明治38年、北澤楽天は「東京パック」という漫画雑誌を創刊します。

全ページカラーで全ページ漫画という画期的なスタイルが受け入れられ、当時のベストセラーとなります。

また、英訳や中国語訳がつけられ、日本のみならず外国でも販売される雑誌となりました。

この成功を受けて類似の漫画雑誌の創刊が相次いだことや、「東京パック」やこの時創刊された雑誌から数多くの漫画家が輩出されたことなどが、日本の漫画文化に大きな影響を及ぼしたとして評価されています。

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北澤楽天の作品

「時事新報」や「東京パック」に掲載された北澤楽天の主な作品は一コマ漫画でした。

これは漫画というよりは風刺画に近かったようです。

その他に連載した作品として、「田吾作と杢兵衛の東京見物」「灰殻木戸郎の失敗」「茶目と凸坊」「心のルンペン」「とんだはね子嬢」などがあります。

「茶目と凸坊」に登場する「茶目」は、「いたずらや冗談が好きでユーモアのある性格」という意味の「茶目っ気」という言葉の語源となっています。

また、「とんだはね子嬢」は、日本で最初に少女を主人公とした漫画であり、少女漫画の原型と言われています。

さらには漫画ではありませんが、クロスワードパズル」を「十字語判断」という名前で紙面に載せて一大ブームを作り、世に広めたのも北澤楽天です。

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