大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に善児という暗殺者が登場します。
もはや「鎌倉殿の13人」の名物キャラクターとなりました。
彼はドラマオリジナルの登場人物ですが、この善児のモデルではないかと言われている「金窪行親(かなくぼゆきちか)」という人物がいます。
金窪行親とはどんな人物だったのでしょうか?
金窪行親とは?
金窪行親は、北条氏に仕えた武士です。
北条義時の側近だとされています。
「比企能員の変」で比企の館を攻めたというのが、「吾妻鏡」での金窪行親の初出となります。
その後、源頼家が死亡すると、その家臣に不穏な動きがあったとしてその家臣らを捕縛したとされます。
史料にはありませんが伝説として、この時金窪行親は源頼家の忠臣13人を討ち取ったともされています。
そこから転じたのか、源頼家は金窪行親が暗殺したという物語も生まれているようです。
他にも以下のような活躍をしています。
- 「和田合戦」の前哨戦で和田胤長(和田義盛の甥)を捕縛
- 和田義盛の首実検と和田合戦での味方負傷者の検分
- 侍所所司就任(※鎌倉幕府の警察・軍事のナンバー2となる)
- 和歌会で騒ぎを起こした三浦光村(三浦義村の弟)を糾明
- 阿野時元(阿野全成の4男)を討伐(※北条義時の命令)
- 後鳥羽上皇の遺児を名乗る謀反人の尋問
善児のモデル?
上記のように金窪行親は、北条義時の側近で捕縛・尋問・討伐などの任務をこなしてました。
ちょっと善児っぽく見えてきます。
さらに、「吾妻鏡」の初出が比企の乱です。
善児は伊東祐親の下人として登場し、ずいぶん前から登場していたためピンと来ないかもしれませんが、よくよく考えれば北条義時の部下となってからの初めての仕事は「比企の館を攻めること」でした。
比企の乱が終わり頼家が幽閉された後、善児が頼家を暗殺したり、もしくは頼家の家臣を討ち取ったりすれば、少なくとも製作者は金窪行親を善児のモデルとしてかなり意識していると言えそうです。
最期はどうなる?
では、金窪行親の最期はどうなるのでしょうか?
もしかしたら善児の最期を予測するヒントになるかもしれません。
しかし、残念ながら金窪行親の最期については不明です。
北条義時の死後、金窪行親はそのまま義時の息子である北条泰時に仕えます。
そんななか、あるとき鶴岡八幡宮で儀式が行われました。
その儀式の最中に、刀が鞘から抜けるという出来事が起こりました。
当時は神仏、幽霊、呪いなど目に見えない力の存在を強く信じていた時代です。
当時の4代将軍・藤原頼経は、刀鑑定にも通じていた金窪行親にこの出来事の意味を聞きました。
金窪行親は、「刀を扱う人に問題があるのではなく、刀が宝剣であったため鞘から抜け落ちてしまったのです」というような返答をしています。
これが「吾妻鏡」に出てくる金窪行親に関する最後の記述です。
いつの間にか歴史の表舞台から姿を消しました。
生年も不明のため、この時何歳だったのかすらわからず、いつ亡くなったのかについても推測が難しいです。
仮に善児のモデルが金窪行親だったとしても、「最期はどうなるか?」ということについては完全に三谷さん次第ということになります。
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