鎌倉殿の13人の第39話「穏やかな一日」のあらすじです。
この記事の内容はネタバレを含みます。
事前に内容を知りたくない方は、適宜読み飛ばして下さい。
目次
鎌倉殿の13人 第39話「穏やかな一日」のあらすじ
10月16日放送予定の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第39話「穏やかな一日」のあらすじです。
前回の38話「時を継ぐ者」では、「牧氏事件」が描かれました。
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源実朝を監禁し、起請文を書かせようとした北条時政の企みは失敗に終わります。
伊豆国へ流罪が決まった時政に対して義時が感情をぶつけ、北条親子最後の会話が終わり、義時が御家人の頂点に立つことが宣言されました。
義時の最初の仕事として、鎌倉殿の地位を狙った罪で京にいた平賀朝雅が討ち取られます。
39話はその続きから始まります。
猶子・善哉
季節は春、北条義時と妻・のえとの間に生まれた男子はすくすくと成長していました。
この子が後の第7代執権となる北条政村です。
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その反面、源実朝は疱瘡(ほうそう)という重い病にかかり、一時は命の危機に瀕しました。
幸いにも春には病状が回復しましたが、実朝と正室・千世の間には子供がいません。
そこで実朝は兄・頼家の遺児である善哉(ぜんざい)を猶子(※養子のようなもの)に迎えます。
この善哉がのちに大事件を起こすことになる「公暁」です。
御家人の頂点・北条義時
政子は病み上がりの実朝が無理をして政に復帰しようとして再び体調を崩してしまうことを心配しています。
義時はこの状況を好機ととらえ、政子にその意思を表明します。
義時:「政は私が進めます。鎌倉殿にはそれを見守っていただく。」
義時は石橋山の戦いで戦死した兄・北条宗時との約束を今こそ果たそうとしていました。
義時:「兄上は、坂東武者の頂きに北条が立つことを望まれておりました。私がそれを果たします。」
義時は大江広元らと評議し、次々と訴訟を裁いていきます。
実朝の仕事はその結果を聞かされて同意を求められ、花押(サイン)を書くだけです。
実朝:「…私は役に立っているのか?」
葛藤する実朝を義時の長男・泰時が励まします。
その励ましが心に響いたのか、実朝は書き溜めた和歌の中から一首選んで泰時に手渡しました。
返事は和歌で返さなければなりません。
泰時:「…歌でお返事をするのですか?私が…?」
泰時は困り果てました。
実朝と和歌
この頃、実朝は和歌の才能が開花し、都で大きな評判を呼んでいました。
実朝の乳母である実衣が政子に自慢します。
実衣:「源仲章殿の紹介で、藤原定家殿が鎌倉殿の歌を手直ししてくださるって」
(※藤原定家はこの時代の和歌の第一人者とも言われる人物です。)
源仲章は京では後鳥羽上皇に仕えていましたが、鎌倉に来てからは御家人として実朝の学問の指南役を務めています。
仲章は義時に挨拶をすると実朝の居室へ向かいます。
ちょうど実朝は三善康信から和歌を教わっている最中でした。
仲章:「鎌倉殿。これからは定家殿が和歌の師匠です。」
仲章は今後、三善康信が実朝に和歌を教えることを禁止します。
康信は肩を落としました。
政の仕組み
和田義盛:「ウリン、遊びに来てしまいました。」
実朝の居室に和田義盛が陽気な顔でやってきます。
このところ義盛は実朝のことを親しげに「ウリン(羽林)」と呼んでいます。
義盛は「上総介」になりたいと実朝に打ち明けました。
実朝は望みを叶えてあげたいと、政子のところへ相談をしに行きます。
政子:「政というものは、身内であるとか、仲がいいとか、そういうこととは無縁な、もっと厳かなものだと思うのです。」
そう言って実朝をたしなめます。
このときの政子の言葉は、棚作りに来ていた八田知家にも聞こえました。
八田知家は言います。
知家:「御家人たちは皆、苦々しく思っております。北条でなければ国司になれないのか。」
政子は知家に言われて驚きます。
義時に話を聞くと、義時は政の仕組みを新しくしようと考えていたようです。
世襲制だった守護を交代制にするなど、一部の御家人に力が集まらないような仕組みに変えたいということでした。
波風が立つのではないか?と政子が心配します。
それでもやらなければいけないと義時は語ります。
義時:「二度と北条に刃向かう者が出ないように。」
鶴丸→平盛綱(たいらのもりつな)誕生
泰時は実朝へ返す和歌が詠めずにずっと悩んでいます。
そこへ「いささか疲れた」と義時がやってきて横になりました。
義時の視線の先には泰時の幼なじみ・鶴丸がいます。
義時:「諱(いみな:実名のこと)を付けてやろうか。盛綱(もりつな)…氏もいるな。平(たいら)でどうだ。源氏の世が安泰となった証だ。」
鶴丸の名が平盛綱(たいらのもりつな)と改められます。
会話のなかで鶴丸がうっかりと御家人にしてほしいと本音を漏らします。
通常、鶴丸の身分で御家人にはなれません。
義時:「本日の切的(きりまと:弓の競技の一種)の技競べに紛れ込め。そしてひときわ目立つ働きをしてみせよ。」
義時は鶴丸の働きが良ければ実朝に掛け合うつもりでした。
和田義盛・三浦義村との摩擦
義時は気持ちを切り替えて執務室に戻ります。
そこには和田義盛を呼び寄せていました。
義時:「上総介の件は忘れてほしい。」
和田義盛の要望を却下します。
さらに、今後直接実朝に何かを頼むことも、「ウリン」という呼び方も禁止します。
義盛:「変わっちまったよなあ、鎌倉もお前も!」
義盛が捨てゼリフを吐いて出て行くのを大江広元も見送っていました。
広元:「和田殿は御家人の間で人気があります。慎重にかからねばなりませんな。」
なにやら意味ありげな言葉を発します。
義時と広元が話をしていると、三浦義村が源頼家の正室・つつじと、その子・善哉をつれてやってきました。
義時はつつじと善哉を政子のところに案内すると、義村に改革案を切り出します。
義時:「守護を2年ごとに改める。御家人たちの力を削ぐためだ。」
義村:「言っておくが、俺も相模の守護だぜ?」
義時:「だからこそ、真っ先に賛成してもらいたいんだ。他の御家人が何も言えなくなる。」
義村は承諾しました。
しかし、義時が去ったあと、義村は怒りに任せて床を殴りつけます。
一方、先程政子のところに向かったつつじと善哉は庭へ出ていました。
政子、つつじ、善哉が庭にいると、実朝が北条時房を連れてやってきました。
時房は実朝と善哉を誘い、3人で蹴鞠をはじめます。
楽しげで穏やかなひとときが流れていきました。
最高権力者
切的の技競べが催されます。
大勢が見守るなか、北条泰時と組んだ平盛綱(鶴丸)が見事に的を射て勝利を収めます。
盛綱(鶴丸)の活躍に目を留めた実朝に、泰時の幼なじみで功績のある家人であると義時が持ち上げます。
義時:「御家人にしてやりたいのですが。」
実朝はこれを拒否します。
実朝:「和田義盛の上総介推挙を止めたのはお前ではないか。守護の任期を定めたのも、御家人たちに勝手をさせぬためではなかったのか?」
実朝の筋の通った言葉を、義時は正論だと認めます。
が、
義時:「さて、どうやら私はもう要らないようです。あとは鎌倉殿のお好きなように進められるがよい。」
と、脅しをかけます。
義時が引退すれば政が滞るのは目に見えています。
実朝は折れるしかなく、やむなく盛綱(鶴丸)を御家人にすることを許しました。
義時:「私のやることに口を挟まれぬこと。鎌倉殿は見守ってくださればよろしい。」
実朝の気持ちは深い失望に沈んでいきました。
実朝と千世
実朝に世継ぎができないことを誰よりも気に病んでいるのは正室の千世です。
千世は実朝に側室の話を勧めてみました。
実朝は千世の悩みが深いのを知ると、かたく秘密にしてきた悩みを打ち明けようと千世の手を握ります。
実朝:「私には世継ぎを作ることができないのだ。あなたのせいではない。私は…どうしても…そういう気持ちになれない。」
千世:「ずっとお一人で悩んでいらっしゃったんですね。話してくださってうれしゅうございました。」
千世が優しく実朝を抱きしめます。
実朝もためらいながら、千世の背に手を回しました。
名歌
泰時はまだ返歌が詠めずに悩んでいます。
そこへ源仲章が背後から覗き込んできます。
泰時が手にした(実朝から受け取った)和歌を見ると、誰の歌かを知らずに解釈します。
仲章:「これは恋しい気持ちを詠んだものです。」
これを聞いた泰時は慌てて実朝の居室を訪ねます。
間違えて恋の歌を渡してくれたのではないかと和歌を差し出しました。
実朝はやるせなく泰時を見つめ、別の和歌を手にして詠み上げます。
「大海の 磯もとどろに寄する浪 破れて砕けて裂けて散るかも」
(※後世、名歌と讃えられる一首です。)
泰時がこの紙を手にして退出するのを実朝は寂しく見守りました。
公暁の旅立ち
1211年9月、善哉は出家して「公暁」と名を改めます。
そして修行のために京へ上ることとなりました。
見送る政子に公暁が挨拶します。
公暁:「園城寺(おんじょうじ)の公胤僧正(こういんそうじょう)のもとで修行をしてまいります。」
義時:「お戻りになられた暁には、鶴岡八幡宮の別当になっていただきます。」
義時と政子が公暁の旅立ちを見送ります。
源実朝、三浦義村もそれぞれ別の場所で公暁の旅立ちを見守っていました。
第40話へつづきます。
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