鎌倉幕府の十三人の合議制とは何だったのか?仕組みを簡単に

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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が盛り上がりを見せています。

このドラマのタイトルは、鎌倉幕府の「十三人の合議制」と呼ばれる体制から付けられています。

では、そもそも「十三人の合議制」とはどんな仕組みなのでしょうか?

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鎌倉幕府の十三人の合議制とは?

「十三人の合議制」とは、源頼朝の死後に発足した鎌倉幕府の指導体制のことです。

1199年4月に始まり、1200年に解体しています。

なんと、1年ほどしか存在しなかった制度です。

しかもメンバーが13人だったのは、約半年だけ。

1199年12月頃に「梶原景時」が失脚。

その約2ヶ月後、1200年2月ごろに「三浦義澄」が病死。

さらにその4ヶ月後の1200年6月には「安達盛長」も病死。

十三人の合議制発足から約1年と2ヶ月で、メンバーが3人欠け、この制度は解体されます。

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十三人の合議制の仕組みは?

十三人の合議制の仕組みは、第2代将軍「源頼家」が、訴訟を直接裁くのを禁止し、13人の合議により取り計らうというものです。

そして、実はどういう仕組みだったのか、不明な部分が多い制度です。

一年たらずで崩壊していますからね。

従来は、頼家が恣意的な判断を行なっていたので、頼家の暴走を防ぐために権力の一部を取り上げたというような解釈がされていました。

しかし、近年の研究では、13人が話し合ったうえでそれを判断材料に、最終的には頼家が決定を下すという仕組みだったのではないかとされています。

つまり、訴訟の取次を13人に限定し、その13人から頼家に訴訟の内容を伝えて、最終判断は頼家にさせていたということのようです。

頼家の権力を奪うのではなく、頼家の権力を補完するための仕組みだったのではないかという見方が近年の有力説です。

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