曽我兄弟の敵討ち事件だけではない富士の巻狩りで起きた出来事

北条家 映画・ドラマ
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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、「曽我兄弟の仇討ち」が大きく描かれ、物語の重要局面を迎えます。

この「曽我事件」は源頼朝が催した「富士の巻狩り」の最中に起こりました。

そこで「富士の巻狩り」で起きた出来事と、曽我兄弟の仇討ちにつながるまでの流れを簡単に記したいと思います。

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富士の巻狩りとは?

そもそも「富士の巻狩り」とは何でしょう?

「富士」は文字通り富士山のことで、この行事が行われた場所を指しています。

「巻狩り」というのは、ごく簡単にいえば狩猟のことですが、ただ獲物を求めて行う通常の狩猟ではなく、「遊興・神事・軍事訓練を合わせた狩猟」のことです。

この「富士の巻狩り」が行われたのは1193年5月~6月にかけてのことです。

前年に源頼朝は征夷大将軍に任命されており、「権力を誇示するため」「軍事訓練のため」「甲斐源氏への牽制」など様々な目的があったと言われています。

巻狩りの規模はとても大きく、「吾妻鏡」によれば「数え切れないくらい多い人数」とされており、その他の史料ではかなりバラツキはあるものの、少なくとも数万人は参加していたとされています。

特に、「曽我兄弟の事件」が起きた後、話を聞きつけた御家人が集結しており、数十万から数百万人集まったとする史料もあるほどです。

なお、当時の日本全体の人口は757万人ほどとされています。

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富士の巻狩りで起きた出来事

以下、富士の巻狩りで起きた出来事を簡単にまとめます。

源頼家の初鹿狩り・矢開き

源頼家(万寿)もこの巻狩りに参加していました。

当時彼は12歳の少年でした。

父である頼朝としては、この巻狩りで頼家に活躍してもらい、自身の後継者であることを御家人達にアピールしたいという狙いがありました。

その期待通り、頼家はこの巻狩りで最初の獲物となる鹿を射止めます。

これが5月16日のことで、その日の晩には「矢開き」が行われました。

矢開きとは、狩りの最初の獲物を披露し祝う行事です。

3人の者が選ばれて、山の神様に三色の餅をお供えし、その後、この餅を食べるという儀式です。

その3人には「工藤景光」・「愛甲季隆」・「曽我祐信」が選ばれました。

工藤景光はこの後の記述にある「大鹿の事件」の当事者、愛甲季隆は「曽我事件」で弟の五郎に肩を斬られて負傷します。

そして、曽我祐信は曽我兄弟の養父です。

結果的に、この時源頼朝に選ばれた3人全員が、「矢開きの儀式に選ばれた以外の理由」で歴史に名を残すことになります。

なお、頼朝は頼家の活躍が嬉しかったらしく、わざわざ使者を北条政子のもとへ送って鹿を射止めたことを報告していますが、政子は「それしきのことで」と、冷たい反応をしたというエピソードが残っています。

大鹿(大猪)の出現

5月27日、源頼朝の前に突然大きな鹿が現れます。

近くにいた「工藤景光」が願い出て3本矢を射掛けますが、どれも刺さりません。

この時の工藤景光は70年以上狩りを続けてきた大ベテランでした。

今まで狙った獲物を仕留められなかった経験がない景光は、「あの大鹿は山神様が乗る鹿に違いない。これで私の寿命も縮まった。」と発言しています。

そして、その晩、景光は発病してしまいます。

一連の出来事を目の当たりにした頼朝は、狩りの中止を提言します。

しかし、有力な御家人たちは継続を勧め、最終的には狩りを継続するという判断がなされました。

この次の日に「曽我兄弟の仇討ち」が起こります。

もしかしたら、このとき狩りの継続を勧めた有力御家人たちは、曽我兄弟の計画を知っていたのかもしれません。

なお、「曽我物語」という史料では、大鹿の代わりに大猪が出現し、それを御家人の「仁田忠常」が退治したことになっています。

曽我兄弟の仇討ち

大鹿の出現の翌日の5月28日夜、曽我兄弟の仇討ち事件が起こります。

曽我兄弟は、工藤祐経の泊まっていた旅館に押し入り、これを討ち取ります。

このときたまたま祐経の酒の相手をしていた「王藤内(大森隆盛)」という神職も巻き込まれて亡くなります。

彼は昔の恩の礼を言うために工藤祐経の寝所に立ち寄っただけだったので、曽我事件で一番可哀想なのはこの王藤内かもしれません。

祐経らを討ち取った後、集まってきた御家人と曽我兄弟の乱戦が始まります。

兄の十郎は九人の武士を斬って退け、10人目の仁田忠常に討ち取られました。

弟の五郎は源頼朝をめがけて突進しますが、側近に取り押さえられます。

事情を聞いた頼朝は五郎を助命しようとしますが、梶原景時などの進言により最終的に処刑されてしまいます。

しかし、五郎の言動に感動した頼朝の配慮により、養父の曽我祐信は許され、しかも年貢を免除されています。

この事件は、曽我兄弟が親の仇敵である工藤祐経だけではなく、源頼朝にも刃を向けたため、「黒幕がいたのではないか」と様々な憶測がされています。

なお、「曽我兄弟の仇討ち」に関しては、詳しい記述が別記事にありますので、興味のある方はこちらを御覧ください。→関連記事:曽我兄弟の仇討ちとは?

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