大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で上総介広常が梶原景時に討たれた回に、北条義時に子供が生まれました。
金剛と名付けられたこの赤ちゃんは、成長して「北条泰時」となります。
この記事では「鎌倉殿の13人」をより楽しむために、今後活躍するであろう北条泰時のことを簡単にご紹介したいと思います。
北条泰時とはどんな人?
北条泰時は北条義時の長男であり、鎌倉幕府第3代執権となる人物です。
ドラマでは坂口健太郎さんが演じます。
上記の公式Twitterの説明にもあるように、非常に評価の高い政治家です。
日本史上屈指の名宰相
「鎌倉殿の13人」の公式サイトやTwitterなどでは、北条泰時のことを「日本史上屈指の名宰相」と呼んでいます。
人格者であり優秀な政治家
北条泰時は政治手腕にも人格にも優れており、当時を生きた人たちからも非常に評価の高い人物でした。
その人望は、中国の名君、堯(ぎょう)や舜(しゅん)に例えられるほどでした。
ちなみに堯は「その仁は天のごとく、その知は神のごとく」とまで言われた帝で、舜はその堯から認められて帝位を譲られた人物とされています。
ふたりとも儒教では神格化され「聖人」とされています。
北条義時は裁判の際、「道理」を一番重要視したと言われています。
道理に沿った裁きを続け、誠実に仕事をこなしたため、「まことの賢人である」と武家だけではなく公家や民衆からも高い評価を得ていたと言われます。
御成敗式目制定
日本最初の武家法である「御成敗式目」を制定したのも北条泰時です。
この御成敗式目が非常によく出来た法律で、室町時代、戦国時代に作られた武家の法律は「御成敗式目の追加法令」という位置付けでした。
江戸時代には「武家諸法度」が制定されますので位置付けとしては少し変わりましたが、武家諸法度でカバーできない部分は御成敗式目が効力を持ち、その状態は明治時代に近代法が制定されるまで続きます。
さらには現在の民法にも影響を与えたとする説すらあります。
現在の日本には「他人の財産を自分のものではないことを知りながら20年間占有し続けた場合に所有権を取得できる」取得時効という制度があります。
この制度は御成敗式目がもとになっているのではないかという説です。
1232年に制定された法律の一部が2022年にも生きていると考えれば、「約800年有効な法律」を作ったことになります。
武家政権の定着
日本最初の武家政権を立ち上げたのは源頼朝ですが、それを定着させたのは北条泰時だとされています。
それまで鎌倉幕府の政治体制は、実質的には専制体制でした。
これだとリーダーとなった人物の才覚にほとんどすべてを委ねることになります。
名君が続けば問題はないものの、名君はめったに出ないからこそ名君と呼ばれます。
泰時は「評定衆」を幕府の最高機関にして専制体制からの脱却を図りました。
リーダーの資質に頼るのではなく、きちんとした仕組みを構築します。
その上で、「執権」を評定衆の取りまとめ役としました。
さらに、評定衆の取りまとめ役である執権に人格者である北条泰時が就いたことで、これがお手本のようになり、以後もこの仕組がうまく働くようになります。
約700年もの間続くことになる武家政権の礎は、北条泰時の功績によるところが大きいと言われます。
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