大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、主人公・北条義時の子は、ほぼ長男の北条泰時しか出ていません。
ちらっと子供時代の息子たちが出てきたようなシーンはありますが、個別のキャストの名前としても出ていません。
北条義時の子は史実では少なくとも10人ほどいて、その中で後継者候補とされていたのは正室との長男である「北条朝時(ほうじょうともとき)」だとされています。
鎌倉殿の13人には出てきていませんが、義時の跡継ぎ候補・北条朝時のことを紹介させて頂きたいと思います。
※追記:第39回「穏やかな一日」で初登場しました。西本たけるさんが演じています。
北条朝時とは?
北条朝時は、鎌倉殿の13人の主人公・北条義時の次男です。
母は正室である姫の前(※ドラマでは比奈)です。
長男の北条泰時が側室との間の子供だったため、本来は北条義時の跡継ぎの最有力候補でした。
兄・北条泰時とは11歳年が離れています。
元服した際の将軍は3代の源実朝で、その一文字をもらって「朝時」と名乗ったとされています。
後述しますが、朝時はある時期に後継者候補から外されます。
後に北条の跡継ぎを狙って兄の泰時に反発する姿勢は見せていますが、大きな事件は起こさず、最終的に祖父である北条時政の館を継承しました。
その時政の館は「名越」という場所にあったため、朝時の家系は「名越流北条氏」と呼ばれます。
この名越流北条氏は北条家の本筋である「得宗家」に対して常に反抗的であったとされています。
北条義時の跡継ぎにならなかったのはなぜ?
北条朝時は北条義時と正室・姫の前(比奈)との間にできた最初の男子です。
本来ならば、北条義時の跡継ぎでした。
それなのに北条本家の跡継ぎになれなかったのは、朝時が女性問題でトラブルを起こしたからです。
北条朝時は、源実朝の妻に仕える官女に手紙を何度も送り、相手にされないので、ついにその官女のいる屋敷に忍び込みました。
これがバレてしまいます。
この件を知った源実朝は怒ります。
そして、責任をとらされる形で、父の北条義時から親子の縁を切られてしまいます。
このことで朝時は北条本家の跡継ぎ候補から脱落しました。
北条朝時のその後
女性問題で北条家の跡継ぎ候補から脱落したあと、北条朝時は駿河国(静岡県)で謹慎させられます。
しかし、その約1年後に「和田合戦」と呼ばれる事件が起こり、朝時は鎌倉に呼び戻されました。
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其の和田合戦で活躍し、朝時は御家人として鎌倉幕府に復帰します。
以降、承久の乱にも参加し、義時死後は幕府の評定衆にも選ばれました。
朝時は本来、北条を継ぐ立場であったため、自身こそが北条の本流だという意識を持っていた節があります。
北条本家の跡を継いだ兄の北条泰時に対しても不穏な動きをしたと見られていますが詳細は明らかではありません。
北条泰時が亡くなる前後、鎌倉で合戦が起こるという噂が流れ、その首謀者は北条朝時であると見られていたようです。
結果的に北条朝時による乱は起きることなく、兄で北条後継者の北条泰時の死から3年後、北条朝時は亡くなりました。
享年は53です。
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