大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、源頼朝が亡くなった後、鎌倉は混乱が大きくなり、権力争いも活発になってきました。
ところでこの後「鎌倉殿の13人」に登場するか、少なくとも名前が上がるであろう「北条政範(ほうじょうまさのり)」という人物をご存知ですか?
彼の存在は、鎌倉幕府内の権力争いの火種にもなりましたが、「十三人の合議制」が始まってもまだ一切登場していません。
北条政範とはどんな人物なのでしょうか?
北条政範とは?
北条政範とは、北条時政と牧の方(※ドラマでは「りく」)の間の子です。
つまり、主人公北条義時の弟です。
しかも、北条義時の母よりも牧の方(りく)の位の方が高かったため、北条時政の嫡男は北条政範であったとされています。
(※「吾妻鏡」では、義時の名字は「北条」ではなく「江間」と記されることが多く、これはもともと義時が北条の跡継ぎではなかったためであると見られています。)
ですので、北条政範は、本来であれば北条家の跡取りとなり、2代目執権となっていたかもしれない人物です。
ドラマでの登場は遅かったですが、政範は源義経が討ち取られ、奥州藤原氏が滅びた1189年に生まれています。
この北条政範は、北条時政と牧の方(りく)が暴走するきっかけとして重要な人物となってきます。
北条氏仲間割れのきっかけに
とはいっても、北条政範が何かをしでかしたわけではありません。
彼は、第3代将軍「源実朝」の正室を迎えるため京へ上洛したところ、そこで病気にかかって急死したとされています。
享年は16でした。
この時、京には「平賀朝雅(ひらがともまさ)」という北条時政と牧の方(りく)の娘婿(=北条政範の義理の兄)がいました。
北条政範が無くなる少し前、平賀朝雅は、政範と共に上洛していた「畠山重保(畠山重忠の嫡男)」と言い争いを起こしています。
その場は周囲のとりなしで収まりましたが、この「北条政範の急死」と「平賀朝雅と畠山重保の諍い」が同時に鎌倉へ伝えられました。
北条時政と牧の方(りく)としては、「嫡男を失ったという報告」と、「娘婿が責められたという報告」が同時に届いたことになります。
嫡男を失った大きな悲しみの感情を抑えられなかったのか、その感情は怒りに変わって「娘婿の喧嘩相手」である畠山重保及びその父である畠山重忠に向けられます。
つまり、八つ当たりです。
これが「畠山重忠の乱」につながります。
(関連記事:畠山重忠の乱)
そして畠山重忠の乱をきっかけにして「牧氏の変」が起こります。
(関連記事:牧氏の変)
こうやって北条政範の死をきっかけに、芋づる式に北条一族が対立の流れに飲まれていきました。
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