平賀朝雅(ひらがともまさ)の系図 牧氏事件でなぜ将軍候補になった?

平賀朝雅 映画・ドラマ
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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で主人公・北条義時とその父・北条時政の対立が先鋭化してきました。

彼らは「牧氏事件」と呼ばれる事件で決定的に決裂してしまいます。

(関連記事:牧氏事件

この牧氏事件は、北条時政とその妻・牧氏の方(りく)によるクーデター事件だったのですが、このとき時政らは、3代将軍・源実朝を殺害して平賀朝雅(ひらがともまさ)を将軍にしようと画策していました。

平賀朝雅といえば、大河ドラマでは時政とりくの子・北条正範を暗殺した疑惑もあり、なかなかにうさんくさい人物として描かれています。

なぜ平賀朝雅が将軍の候補に擁立されたのでしょうか?

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平賀朝雅(ひらがともまさ)の系図

平賀朝雅は、名字は「平賀」となってはいますが、源氏の家系です。

つまりは源頼朝の遠い親戚です。

簡略化した系図で表すとこんな感じです。

平賀朝雅の系図

源頼朝の「ひいひいひいおじいさん・おばあさん」と平賀朝雅の「ひいひいおじいさん・おばあさん」が同一人物です。

2人の共通の祖先・「源頼義(みなもとのよりよし)」は河内源氏の2代目棟梁で、「前九年の役」と呼ばれる戦で活躍した武将で、その妻「平直方の娘」は桓武平氏嫡流の血筋です。

平家を滅ぼした源頼朝にも平氏の血が流れていたということになります。

(関連記事:「平氏」と「平家」の違い

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牧氏事件で将軍候補に擁立

平賀朝雅の系図は上記のとおりで、河内源氏の子孫にあたります。

さらに、平賀朝雅は源頼朝の猶子(※現在でいう養子のようなもの)にもなっていました。

当時の時点で、3代将軍・源実朝がいなくなったとすれば、あとは2代将軍・源頼家の子「善哉(公暁)」しか頼朝の血を引いた後継者候補はいないという状況でした。

その善哉も当時は6歳です。

源氏一門であり、源頼朝の猶子である平賀朝雅に将軍の役目がまわってくるということもなくはありません。

しかし、源実朝を暗殺して代わりに平賀朝雅を新将軍に据えようとしたのはさすがにやりすぎでした。

ほとんどの御家人が、北条時政と牧の方(りく)を見限り、実朝暗殺計画は失敗。

時政とりくは出家し、隠居することになります。

平賀朝雅には北条義時が追手を差し向け、京で討たれてしまいます。

「鎌倉殿の13人」では、憎たらしい男として描かれている平賀朝雅ですが、実際は乱を鎮圧したり、自分に追手が向けられていることを知っても冷静に対応したりと、なかなか武士らしい人物だったようです。

追手の中には平賀朝雅を逃がそうとした者もいたらしく、大河ドラマではそうは見えませんが、意外と人望もあったのかもしれません。

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