大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で比企能員の変(比企の乱)が描かれます。
この事件で比企能員は、北条時政の館に丸腰で向かい、あっさりと謀殺されてしまいます。
北条の最大のライバルで、権力闘争真っ最中の比企能員が、なぜこれほど警戒心のない行動をとったのでしょうか?
また、源頼家の子・一幡が殺されたのに、善哉(のちの公暁)は無事です。
なぜ善哉は見逃されたのでしょう?
なぜ比企能員は丸腰で北条館に向かったのか?
源頼家の跡継ぎ問題で北条と比企がもめるなか、比企能員は北条時政の館へ丸腰で向かいそこで討ち取られます。
なぜこんなに警戒心のないことをしてしまったのでしょう?
これは、このとき比企能員が北条時政を討とうと計画していたため、武装していくと警戒されるかもしれないと思ったからです。
つまり、罠にはめる相手を油断させようと丸腰で向かったところ、逆に罠にハマって討ち取られたというのが「比企能員の変」の実態です。
比企能員は北条館に向かう少し前、頼家に対し北条時政討伐を願い出て承諾を得ています。
近々政敵である北条時政を討ち取るつもりでした。
そんななか当の本人である北条時政から呼び出しを受けたので、討伐計画を悟られてはならないと平服で時政邸に向かったところ、やられてしまいました。
この「北条時政討伐計画」は、北条政子が障子の向こうで聞いていたとされています。
政子は当然、実の父である北条時政にこのことを伝えます。
ホントかウソかわかりませんが、北条時政としてはラッキーによって暗殺をまぬがれ、逆に暗殺してこようとする人間を討ち取ることができました。
このあたりはけっこう紙一重の攻防で、
- 「比企能員→油断させて討ち取るための布石を作る」
- 「北条時政→油断させようとしたところを討ち取る」
となり、一足はやく動いた北条時政に軍配が上がりました。
なぜ善哉(公暁)は無事だったのか?
源頼家の息子・一幡は殺されたのに、同じく息子である善哉(公暁)は無事でした。
これは、北条氏の目的が「源頼家の家族の排斥」ではなく、「比企一族の排斥」だったからです。
一幡は確かに源頼家の嫡男ではありましたが、同時に一幡の母・若狭局(※ドラマでは「せつ」)は比企一族でもありました。
比企を徹底的に排除しようとしていた北条氏としては「比企の息のかかった者」として、一幡を野放しには出来なかったのでしょう。
ですが、実際は比企能員というリーダーを失った比企一族が、新たな「比企のリーダー」として一幡を選んだらしく、比企能員討ち死にのあと、一幡の館に立てこもります。
その館が攻撃対象となり、一幡は結果的に火に飲み込まれて亡くなります。(※諸説あり)
「比企能員の変」で一幡が亡くなったのは、比企一族が勝手に一幡を巻き込んだという側面が強く、北条氏が積極的に一幡を狙ったというわけではありません。
となれば、比企一族に関係のない善哉(公暁)が無事だったのも、別におかしな話ではありません。
なお、頼家には「禅暁」「栄実」「竹御所」など、他にも多くの子がいますが、いずれも比企能員の変で処罰を受けていません。
善哉だけが無事だったというわけではなく、むしろ、「比企一族と関係のある一幡だけが粛清された」と捉えた方が正確なのかもしれません。
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