大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の源平合戦で「源義経」が大活躍をしています。
この源義経は平家討伐の際、数々のエピソードを残しています。
代表的なエピソードを簡単に見てみましょう。
扇の的
「平家物語」や「源平盛衰記」などで出てくるエピソードです。
世代によっては中学の教科書にも載っていたため、ご存じの方も多いかもしれません。
「屋島の戦い」で源氏軍に追い詰められ、平家軍は舟で海へ逃れます。
日が暮れ始め休戦状態になると、平家軍は小舟に扇をとりつけ、源氏軍を挑発します。
「この扇を弓で射ってみよ」というわけです。
義経は最初「畠山重忠」に射るように命じましたが、重忠はこれを辞退。
最終的には「那須与一」という武者が選ばれます。
与一は覚悟を決めて矢を射ると、見事その矢は扇に命中。
源氏・平家ともに与一を称賛し盛り上がります。
その雰囲気につられて、先程扇があった小舟で一人の武者が舞を始めます。
すると、義経は部下に命じて与一にこの武者までも射させます。
矢は命中。
武者は海へと落ちました。
源氏方からは再度歓声があがりますが、平家方はドン引き。
「バリバリ現役武士の源氏」と「貴族生活に慣れた平家」、両陣営の違いを印象付けるエピソードです。
弓流し
「扇の的事件」の後、平家方は当然怒りました。
合戦が再開され、やがてその戦いは激しさを増していきます。
そんな中、義経は自分の弓を海に落としてしまいます。
すぐそばには平家軍がいるのにも関わらず、義経はこの弓を命がけで拾いました。
なぜ弓のためにあんな危険なことをするのかと部下の武将達に問われると、「私の弱い弓を相手に拾われたら『これが源氏の大将の弓か』と末代まで笑われることになるため拾ったのだ」と返します。
義経は弓を引く力が弱く、持っていた弓も小さく弱いものだったと伝わります。
八艘飛びは飛びすぎ?
壇ノ浦の戦いで、次第に平家方の負けが濃厚になってくると、平教経という荒武者が最後の悪あがきに出ます。
「せめて敵の大将を討ち取って一矢報いよう」というわけです。
教経は運良く源氏の総大将である源義経の舟を見つけました。
義経は「敵わない」と見ると鎧をつけたまま、刀を抱えて味方の舟に飛び移ります。
このときの舟と舟の間が「二尺」であると伝わっています。
これは約6メートルほどの距離です。
流石に助走なしで、数十キロとも言われる甲冑を付けたまま6メートルを飛ぶのは人間離れしています。
(一応、走り幅跳びの世界記録は8メートル超えなので不可能と断言はできませんが…)
平家物語では、一回だけの跳躍でした。
この話が時代を経て伝えられる中で、飛ぶ回数が増えて8つの舟を飛び移ったというエピソード、つまり「八艘飛び」の伝説が生まれたようです。
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