大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で西田敏行さん演じる「後白河法皇」がいい感じの黒幕感を出しています。
義経と頼朝の対立に関わったとされている後白河法皇とは一体どんな人物だったのでしょう?
後白河法皇とはどんな人?
後白河法皇は日本の第77代天皇で、譲位後長きにわたり院政を行った人物です。
天皇であったのは1155年8月から1158年9月までの約3年間のみです。
当初は皇位継承とは無縁な立場でしたが、異母弟である近衛天皇の急死によって中継ぎ的に皇位を継ぐことになります。
「二条天皇」・「平清盛」・「木曾義仲」などとの対立により、何度も幽閉されますが、そのたびに復権して約34年間もの間院政を行いました。
その時々の権力者に翻弄されたイメージが強く、源頼朝からは「日本一の大天狗」という有名なあだ名を付けられています。
後白河法皇と源頼朝が初めて会ったのは平家討伐・奥州平定後の1190年のことです。
この席で頼朝は「上総介広常」を粛清したのは、後白河法皇のためであったという旨の発言をしています。
大河ドラマの上総介広常の粛清に衝撃を受けた視聴者からすると、「後付じゃないの?」と疑いたくなるような発言です。
後白河法皇の最期は?
後白河法皇は病で崩御されます。
記録によると、御所を新しく建てて引っ越しをした直後に体調を崩されます。
何の病気なのか、詳細は不明ですが、「ご飯が食べられなくなり、脚が腫れた」というような記述が見られます。
源頼朝が征夷大将軍に任命されたのと同じ1192年に66歳で崩御されました。
頼朝の征夷大将軍任命の約4ヶ月前のことでした。
後白河法皇と後鳥羽上皇・安徳天皇の関係
後白河法皇にとって、「安徳天皇」「後鳥羽上皇」は両方とも孫にあたります。
後白河法皇の第7皇子である「高倉天皇」が彼らの父親です。
高倉天皇と「平清盛の娘・徳子」の間の子が安徳天皇、高倉天皇と「藤原殖子」という女性の間の子が後の後鳥羽上皇です。
安徳天皇が兄、後鳥羽上皇が弟です。
安徳天皇は平家滅亡の際に壇ノ浦で二位尼(平清盛の妻)に連れられて入水し、最も短命な天皇として知られています。
後鳥羽上皇は「鎌倉殿の13人」の主人公である北条義時に対して討伐の命令を下した人物で、大河ドラマではラスボス的な立ち位置に立つであろう人物です。
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