源義経がチンギス・ハンだという伝説は本当なのか?何か根拠はあるの?

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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で菅田将暉さん演じる源義経が大活躍しています。

奥州で藤原泰衡の軍勢に攻められ自害したと伝わる源義経。

その人気の高さから「生きていてほしい」という願望、義経死後の首の搬送期間が不自然に長かったことから「実は生きているのではないか」という疑いが生まれます。

そうしたなかで、時代が下るごとに「源義経はチンギス・ハンと同一人物なのではないか?」という説が生まれるようになっていきます。

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源義経がチンギス・ハン?

まず、いきなりですが、現在の学説においてこの説は完全否定されています。

人々の願望と期待が想像を肥大化させ、このような伝説が生まれたという見方が一般的です。

ただその一方、学説で否定されたからと言って、事実がそうでないとは限りません。

義経の死に関してに疑問点は数多くあり、チンギス・ハンと生きた時代も同じです。

また、義経が日本で活躍している時に、チンギス・ハンは行方不明となっており、義経の消息がわからくなってからチンギス・ハンが活躍したという不思議な関係性もあります。

結局タイムマシンでも発明されない限り、過去の事実はわからないので、ここでは源義経=チンギス・ハンだとする説の根拠を見てみたいと思います。

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源義経=チンギス・ハンだとする根拠

源義経=チンギス・ハン説は、明治時代頃になって広まったものだとされています。

この説は、義経の「首の搬送期間が不自然に長い」というのが始まりとなっています。

奥州で義経を追い詰めた藤原泰衡は、義経の死を頼朝に報告しますが、何故かその報告を「義経自刃から22日後」に行っています。

義経が亡くなったとされてから3週間以上も遺体を放置したことになります。

さらに首実検が行われたのは、襲撃から43日後です。

時期は初夏であり、このくらいの日数が経っていたら首は腐敗が進み、判別が難しかったものと見られています。

さらに、歴史書「吾妻鏡」には、「義経が鎌倉に攻めて来るという噂」が流れたことが記されています。

この噂が流れたのは、義経死亡から8ヶ月後のことです。

義経の死は、既に知れ渡っているため、この噂を多くの人が信じたことに違和感が残ります。

これらのことは、江戸時代の学者の研究対象にもなっており、彼らは「北へ逃れたのではないか?」「義経の首は偽物であった可能性が高い」と結論付けています。

北へ逃れたという話がどんどん発展していって、最終的にチンギス・ハンになったというところまで展開していきます。

チンギス・ハンは、前半生が謎に包まれており、義経がいなくなった時期から活躍し始めます。

さらにお互いに戦の天才です。

この偶然の一致が「義経=チンギス・ハン説」を生み出した根拠だとされます。

しかし、チンギス・ハンは家系がしっかりと判明しています。

言葉の問題、距離の問題、戦資金の問題、性格の違いの問題など、「義経=チンギス・ハン説」は否定しようと思えばいくらでも否定できます。

ただ、前述の通り、今となっては真実は誰にもわかりません。

せっかく偶然が重なって大きな想像ができるテーマですので、広い心で伝説を受け入れるのもいいかもしれませんよ。

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