千葉常胤の最期はどうなった?実は上総広常とは親戚関係?

佐々木秀義 映画・ドラマ
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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に「千葉常胤」という御家人が登場します。

岡本信人さんが演じており、下総の重鎮として描かれています。

ドラマでは、源頼朝挙兵直後はかなり重要な役割を果たしていましたが、鎌倉幕府ができてからはめっきり出番が減りました。

彼は、鎌倉幕府成立後、どうなったのでしょうか?

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千葉常胤の最期はどうなった?

千葉常胤は1201年に亡くなったとされています。

亡くなった原因や場所などは記録に残っていないため不明です。

ですが、権力争いに巻き込まれた形跡もありませんし、戦に参戦していたわけでもありません。

84歳という年齢だったこともあり、おそらくは病死かそれに近いかたちで亡くなったものと思われます。

千葉常胤は、源頼朝が石橋山の戦いに敗れて、安房の国に逃れてきたときに頼朝のもとに参陣しました。

それより20年以上前、「保元の乱」の際は、源頼朝の父である源義朝の指揮に従って戦っています。

以降、「平治の乱」で源義朝が敗れると、流罪となった生後まもない「源頼隆」を密かに源氏の子として大事に育てたり、平家に近い代官を襲撃したりしています。

千葉常胤は、頼朝の挙兵に加わる前から、源氏とは割と親しい関係だったようです。

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千葉常胤は上総広常と親戚関係

ところで、大河ドラマでは、安房の国に逃れてきた頼朝は、「千葉常胤」と「上総広常」の2人の大物と手を結んでいます。

上総広常は、佐藤浩市さんが演じた豪族で、大河ドラマでは暗殺事件で大きな衝撃を与えました。

上総広常はもともと源義朝(頼朝の父)の郎党(部下)だったとされています。

この「千葉常胤」と「上総広常」は、はとこ(又従兄弟)です。

共に「房総平氏(両総平氏)」と呼ばれる平氏の一門です。

源頼朝が挙兵した際、房総平氏は主に3つの勢力に分かれていました。

「藤原親政」・「上総広常」・「千葉常胤」をそれぞれリーダーとする勢力です。

この内、上総広常・千葉常胤は頼朝につき、藤原親政は頼朝を攻め立てます。

結局、房総平氏同士の戦いとなり、上総広常・千葉常胤の勢力が勝利します。

その後の「富士川の戦い」(※平家軍が水鳥の音に驚いて逃げたとされる戦い)で、平家側についていた上総広常の兄・上総常茂を源氏軍が討ち取ると、上総広常が房総平氏の当主となりました。

しかし、その上総広常は頼朝の命により誅殺されます。

その後は、千葉常胤が房総平氏の当主を継ぐことになりました。

このあたりのタイミングで、頼朝を支える最大基盤が「房総平氏」から「北条氏・比企氏」に移ったものと見られています。

以降、上総広常と違って頼朝からの信頼が厚かった千葉常胤は、平家討伐、奥州合戦でも活躍し、鎌倉幕府の重鎮となりました。

ちなみに「千葉県」という県名は、この「千葉常胤」の「千葉氏」から来ているのではないかという説がたまに持ち上がります。

しかし、これは逆で、当時すでにあった「地名の千葉」を「千葉氏」が名字につけたというのが本当の順番のようです。

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