大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に足立遠元(あだちとおもと)という御家人が登場します。
ドラマでは主に「大姫の遊び相手」としてよく登場していましたし、元芸人の大野泰広さんが演じていることもあって、どこかコミカルな人物として描かれています。
しかし、この足立遠元は、源頼朝が亡くなった後、第2代将軍源頼家を支えるための「十三人の合議制」のうちの一人に選ばれています。
ドラマだけで見ると、13人に選ばれたのは意外な感じがしますが、実在した足立遠元という人物はどのような人だったのでしょう?
足立遠元とはどんな人物?
足立遠元は武蔵国の足立郡を本拠とする御家人です。
ドラマでは、「得体の知れない男」「大姫の遊び相手」という印象が強い…というかそもそも目立っていません。
しかし、彼は「源頼家を支える13人」のうちの一人に選ばれました。
ドラマでは活躍が描かれなかったものの、実は彼は源頼朝の父である「源義朝」の時代から源氏に助力しています。
源氏VS平家で源氏が敗れた「平治の乱」にも参戦しており、このときは源頼朝の兄(長男)・源義平の配下として戦っています。
頼朝が挙兵した際も、前もって遠元にはそのことを伝えており、武蔵の武士としては一番最初に頼朝のもとへ馳せ参じて、東国武士の中で一番最初に本領安堵されています。
奥州合戦でも功をあげたようで、合戦後に官職に任ぜられています。
また、鎌倉に公文所が置かれると、そこを任された5人のうちの1人にも選ばれていますので、武芸だけではなく、学問や文筆にも通じた人物であったようです。
この時代、武士の中にも読み書きができない人物は多く、武勇にも優れ、読み書きもできる人物というのはそれだけで貴重でした。
13人のうちの一人として選ばれたのは、そういったことも考慮されてのことだと思われます。
十三人の合議制のメンバーに選ばれた後は、「梶原景時への連判状」に名を連ねた以外、特に大きな出来事に関わっていません。
ドラマではそうは見えませんが、合議制メンバーに選ばれた時の足立遠元の年齢は70歳前後だとされています。
当時の70歳と言えば高齢であるため、権力争いにも関わらなかったのかもしれません。
安達盛長との関係
ところで「十三人の合議制」の中には、もう一人「あだち」という人物がいます。
頼朝が流人だった時代から側近として側に仕えていた「安達盛長」です。
この「安達盛長」と「足立遠元」は親戚であるとされています。
具体的には、「安達盛長の兄の子」が足立遠元ということで、安達盛長は足立遠元にとって叔父にあたります。
ただ、年は甥である足立遠元の方が上だとされています。
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