大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に安達景盛という人物が登場します。
彼の父は源頼朝の流人時代からの側近「安達盛長」です。
ドラマでは頼朝死去の際、「最も親しい者」として、頼朝の遺骨を墓に納骨する役を務め、葬儀が終わるとすぐさま頼朝の菩提を弔うために出家しました。
それほど源頼朝と安達盛長は、親密で信頼で結ばれていましたが、彼らの子供たちはそれとは程遠い関係性となりました。
安達盛長の子「安達景盛」と源頼朝の子「源頼家」の関係を見てみましょう。
安達景盛と源頼家の仲
親同士はとても仲が良かったのですが、安達景盛と源頼家は不仲だったとされています。
「吾妻鏡」によると、源頼家が第二代鎌倉殿となって約半年後、頼家は安達景盛の留守中にその愛妾を奪おうと、部下に命じて連れてこさせようとしました。
さらにそれだけではなく、頼家は影盛を誅殺しようとしたとされています。
このときは、北条政子が安達景盛を助け、安達景盛は難を逃れました。
これ以前になぜ不仲に至ったのかという具体的な記述はないものの、誅殺を試みるとは相当な恨み、もしくは何らかの算段があったものとみられます。
安達景盛と源実朝の関係
頼家とは違い、源実朝とは仲が良かったようです。
北条政子や実朝からは信頼され、実朝の側近として仕えました。
梶原景時の変、比企能員の変、畠山重忠の乱、牧氏事件、和田合戦などを経て、幕府創設の立役者が次々といなくなっていく中、安達景盛は次第に幕府内の有力者となっていきます。
実朝が暗殺されると、景盛は実朝の菩提を弔うために出家し、高野山に入りました。
このあたり、安達盛長と源頼朝の関係にそっくりです。
出家も政治には関与しており、あの有名な「尼将軍・政子の演説」を実際に読み上げたのは、この安達景盛だとされています。
安達景盛と北条氏
前述の通り、安達景盛は源実朝とその母・北条政子に信頼されていました。
承久の乱の際には、幕府方の首脳陣の一人となり、「歴史に残る北条政子の演説文」の代読も行なっています。
さらに、第3代執権・北条泰時とは仲が良かったようです。
ドラマでは子供の時に、金剛(泰時)が「鶴丸」を庇って弥九郎(影盛)とケンカをしたシーンが有りました。
その二人が後に親戚関係となります。
北条泰時の長男・時氏と安達景盛の娘・松下禅尼が夫婦となっています。
時氏は泰時よりも先に亡くなってしまいますが、時氏と松下禅尼の子供である「北条経時」が第4代執権に、同じく「北条時頼」が第5代執権に就任しています。
このことから、安達景盛は「執権の祖父」という立場になり、幕府内での強い権力を握りました。
そして後に北条氏と結んで三浦氏を排除し、北条氏の権力独占体制に力を貸すことになります。
コメント